はどうなんだよッ』
はどうなんだよッ』
目線の主を桜之丞と呼び、釜次郎は膨れっ面になる。ゴツゴツとした指が、その柔らかな頬を笑い声と共につついた。くすぐったそうに釜次郎は身をよじる。
『そうだねえ。私は色んな猛者と戦って、日ノ本一の剣客になりたいな。後は友と呼べる人が沢山欲しいから、旅にも出たい』
『何でェ、無茶ぶりの点ではおれと似たようなモンじゃねえか。……それって居なくなるってことか?おっ母さんが寂しがるぜ』
釜次郎は大きな目で桜之丞を見上げるが、植髮 その表情は何処か遠くを見ていた。釜次郎からの視線に気付くと、笑みを浮かべる。
『母上なら分かってくれるさ……。それはそうと、釜次郎は何故海の向こうが見たいんだい?』
『そりゃあ異人の文化も面白そうだからだよ。異国の言葉も話せたらカッコいいしよ』
鎖国のこの時代に、面白いやカッコいいで行きたいと思うのは大物だと桜之丞は笑う。
『勿論、徳川の殿さんの為に粉骨砕身働きながらだ。早くに行きたいぜ』
『君は大人しく座って学ぶようなタマじゃないからなぁ、どうだろう。……だが、夢を持つことは良い事だ。忘れるなよ、釜次郎』
「──さん、桜司郎さん」
その夢は歌の声によって突如終わりを告げる。視界には自身の顔を覗き込んだ歌がいた。
「うた、さん……? 」
「気持ちよさそうに寝ていらっしゃったところを申し訳ございませぬ。粗末な物ですが、おを御用意させて頂きました」
その言葉にぼんやりとした頭が急に覚めていく。ぱちりと目を開けると、空を見上げた。日が暮れかかり、何処かで烏の鳴き声が聞こえる。
帰らなきゃ、と口にしようとしたところに歌が嬉しそうに目を細めた。
「私は……歌は、桜之丞兄さんに御飯を作って差し上げたかったのです。それは最早叶わぬ夢となりましたが……。こうして、そっくりな桜司郎さんに召し上がって頂けると救われます」
淡くも叶わぬ恋心が垣間見え、桜司郎は胸が締め付けられるように痛むのを感じる。出かかった言葉を飲み込み、夕餉に応じた。
向かい合うように座ると、出された膳に箸を付ける。
「美味しい……」
大根の煮付けの美味さに頬を緩ませれば、歌は笑みを浮かべた。
「そちらは桜司郎さんの御足元に転がっていった大根にございます。ええと、名付けて 大根の煮付け……とか」
真剣な声色のそれに桜司郎は吹き出すように笑う。
「それって大根足のようじゃないですか」
「ああ!大根足。歌もそう言われてみたいです。白くて細くて綺麗だなんて、女子の理想ですね」
にこにこと歌は微笑んだ。ちなみに大根足とは悪口では無く、褒め言葉なのである。
楽しそうに笑う桜司郎は、幼い頃に見た桜之丞のそれと瓜二つで、まるであの日の事故は悪い夢だったのでは無いかと錯覚してしまう程だった。
──この時が永遠に続けばよろしいのに。
自身の感情に蓋をするように、首を横に振ると歌は口を開く。
「桜司郎さんは、どちらにお住まいなのですか?」
「京の西本願寺に間借りをしています。新撰組という組織はご存知ですか?そこの隊士なんです。江戸には隊士徴募の為に来ていて……」
「ええ、お噂だけ。江戸にも という似たような組織があります」
室内は夕焼けの色に染まり、歌の表情に影を作る。桜司郎の住まいが江戸ではない。それはつまりもう会うことは無いかも知れないということだ。
「……歌は、もうすぐ嫁ぎます。この数奇な出会いは、桜之丞兄さんからのお餞別ですね」
歌が嫁ぐ。それを聞いた瞬間、左胸の刻印が切なく騒いだ。今日初めて出会ったというのに、ずっと昔から見ていた妹が嫁ぐような感覚がした。
桜司郎はぎこちない笑みを浮かべる。
「それは……おめでとうございます」
「有難うございます。これで……歌は、前に進むことが出来ます」
そう言って悲しげに微笑む歌は大人の女性の顔をしていた。
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