高邁な心を持つ宗教家もいるのであろうが

高邁な心を持つ宗教家もいるのであろうが

高邁な心を持つ宗教家もいるのであろうが、宗教を身過ぎ世過ぎの糧とする輩の大半は濃い薄いは別にして又本人にその自覚の有る無しはともかく、その心の傷に付け込んで様々な名目で利益を得て生きていると言っても過言でない。人間にとって、心の傷を癒す方法はそう幾つも無い筈であるが、その一つに忘却という手段がある。歳月という力が記憶を薄れさせ、痛みをゆっくりと和らげて行き、やがては傷口を塞ぐのだ。心の傷に起因する人間が複数であれば、融和し共に忘却してやれば傷は癒えるであろう。健全な人間達はそうやって心の傷に対処している筈であり、古来最も良く採られて来た人間の知恵である。international school grade levels(この物語の主人公ハンベエのような人間は己の心を害する者は敵と見定めて抹殺する手段によって解決を計ろうとしているように見えるが、それは例外である。). だが、悪質な宗教家はその方法を取らない。寧ろ傷口に塩を塗り込むようにその痛みを煽り、その一方で相手に苦行を課す等その心を正常な状態から遊離させて支配しようと試みる。成功すれば、意のままに操れるデク人形、或いは狂信徒の出来上がりである。人の心を操る術に長けているイザベラはこの手の宗教家の為す手練手管、或いは楽屋裏が透けて見えた。(太子はやはりエレナを消す事によって、今もあの悲劇を解決しようとしているに違いないねえ。)心理学に『誤謬の訂正』という言葉がある。これは、ある誤りを犯した者がその誤りを認めず、何やかやと理屈を付けて正当化した為に、反ってその後も同じ誤りを繰り返すという心理的メカニズムの事らしい。イザベラはそのメカニズムをゴルゾーラに当て嵌めて考えた。(太子は『汚れの乙女』の伝承を信じてエレナを殺しかけた事を間違った事と認められないのだ。それ故に、エレナこそ自分に誤りを犯させた邪悪な者、まさしく『汚れの乙女』と思いたいのだろう。若しくは、そのナーザレスという奴がそう吹き込んだか、誘導したのだろう。)そうイザベラは半ば確信した。(エレナには可愛そうな事だが、ゴルゾーラは今後もエレナを抹殺しようとし続けるね。)現にイザベラがハンベエの依頼でこのボルマンスクに出立する直前にもエレナを殺害しようと企てた者がいた。ほぼ間違いなく、その背後ではゴルゾーラが糸を引いていた筈である。この思案を、イザベラは廃墟の本堂のような場所で膝小僧を抱え、左腕に留まらせた烏のクーちゃんを見詰めながらしていた。時に波打つほどの激情がイザベラの瞳から噴き出していたのだが、クーちゃんは何も言わず、真っ黒い瞳を向けるだけであった。.「何が有ってもエレナは殺させないよ。このアタシの意地にかけてもね。」小さく呟くと、イザベラは立ち上がりゲッソリナに戻るべく準備を始めた。既にボルマンスクに留まる必要は無くなったようだ。 意地にかけても。成る程イザベラがエレナを守ろうとする理由には、自分をペテンにかけてエレナを殺させようとしたゴルゾーラに対する烈しい敵意が有ったらしい。しかしそれにしても、その敵意だけの理由では、人の命を飯のタネにして来た元殺し屋にしては、イザベラのエレナへの肩入れは度が過ぎるようにも思える。何がイザベラにエレナをこれ程迄に守ろうとさせるのか。殺し屋であったのは何かの行き違いで、本来はそういう気質の人間だったのだろうか。・・・いや、中々そうとも思えない、おっかない女である。廃墟の寺院を出た時にはまだ明るさが残るとは言え、もう夜の足音が迫り来る夕闇間近であった。どちらか言うと濃い灰色の厚手のマントを羽織ったイザベラは左の肩に烏のクーちゃんを留まらせ、右肩越しに背後を振り返った。そこには誰も居なかったが、

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